やす子の生い立ちが壮絶!児童養護施設・自衛隊を経て芸人に転身した理由とは?

やす子アイキャッチ

バラエティ番組やナレーション、ドラマ出演など、多方面で活躍中の芸人・やす子さん

その明るくてほんわかしたキャラクターの裏には、壮絶な過去と努力の日々がありました。

児童養護施設で過ごした10代、自衛隊への入隊、そして芸人デビュー

現在は芸人としてだけでなく、女優や声優としても注目され、子ども食堂の開設を目指すなど社会貢献にも意欲的です。

この記事では、やす子さんの【幼少期~高校時代】【自衛隊時代】【お笑い芸人への転身】までの道のりを、公的なメディアや本人の言葉をもとに紹介していきます。

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目次

幼少期〜高校時代|児童養護施設で過ごした青春

yasuko

幼少期|母子家庭と極貧生活

やす子さんは1998年、山口県宇部市に生まれました。

本名は「安井かのん」さん。

2歳のときに両親が離婚し、母と妹との3人暮らしが始まります。

2歳で両親が離婚し、母が働きづめだったが、経済的に厳しかったと明かした。

出典:ORICON NEWS

しかし、家庭は極度の貧困状態。

  • 家に冷蔵庫や洗濯機がない
  • 食器は水道水をペットボトルに貯めて手洗い
  • 学校で率先して給食当番をしてパンや牛乳を持ち帰った
  • 夏休みは「パンの耳と水」で飢えをしのいだ

それでも、やす子さんは明るさと優しさを忘れませんでした。

パンの耳を油で揚げ、砂糖をかけてアレンジ。すると、「お姉ちゃん美味しい」と妹が笑顔になったという。

出典:woman exicite

家にお菓子なんてなかったけれど、「妹に喜んでほしい」という思いで生まれた即席スイーツ。

妹の笑顔を見たその瞬間、“食べることが人を元気にする”という感覚が芽生えたといいます。

こうした体験が、後にやす子さんが語った「子ども食堂を開きたい」という夢にもつながっているかもしません。

その一方で、どれだけ生活が苦しくても、母親を責めることはなかったというやす子さん。

母子家庭という環境や経済的な事情から、高校進学と同時に児童養護施設へ入所することになります。

「母子家庭で、金銭的な面で、母は悪くないが養護施設に入ることになった」といい、母親とは「22歳ぐらいまでは正直、疎遠でした」という。

出典:デイリー

芸人になってから少しずつ連絡を取り合うようになり、今では「家族が好きで、休みがあったら山口に帰って家族と過ごす」ほどの仲になったそうです。

高校時代|柔道・アルバイト・施設での生活

やす子さんは、高校卒業(18歳)までの3年間を施設で過ごしました

進学したのは、地元・山口県立宇部中央高校

宇部市出身、宇部中央高校卒お笑い芸人 やす子さん

出典:宇部市公式ウェブサイト

高校では柔道部に所属

部員が2人しかいなかったという小規模な部活ながら、見事黒帯を取得します。

柔道部には部員が2人しかいなかったこともあって、練習も思うようにいかなかったんです。(中略)
黒帯も取ることができたんです。

出典:高校生新聞

礼儀や根気強さを学びながら、学業と部活、生活を両立。

そして放課後は、とんかつ屋さんでアルバイト

90万円を自力で貯めた努力家でもあります。

部活動の後はとんかつ家さんでアルバイトをして、家に帰った後はヒップホップとかフォークロックの音楽を聴いて……。アルバイトでは高校3年間で90万円ためました。

出典:高校生新聞

一方で、心の中では孤独を抱えていました。

家族や親戚とのつながりも感じられず、「悶々としていた時期だった」と振り返っています。

ずっと悶々(もんもん)としていた気がします。そのときは大人は全員、敵だ! ぐらいに考えていましたから。

出典:THE CHANGE

それでも腐らずに、自分にできることをコツコツ積み重ねていたやす子さん。

この前向きな姿勢こそが、彼女の“芯の強さ”につながっているのかもしれません。

「家に帰って甘えられる家族がいない」「自分だけで頑張らないといけない」という状況は、10代の女の子にとって決して簡単なものではありませんよね。

自衛隊時代|「衣食住を確保するために」選んだ道

yasuko

高校卒業後、やす子さんが選んだ進路は「陸上自衛隊」でした。

養護施設を出なければいけなくなった後は、「言葉は悪いが、入らざるを得なかった。高卒で生きて行くためにはそこだけ」と自衛隊に入隊する。

出典:デイリー

当時、“自衛隊に入りたい”という強い希望があったわけではなく、児童養護施設を出たあとに「生きていくための現実的な選択」として選んだ道だったそうです。

2017年、京都府の大久保駐屯地にある第3施設大隊に配属。

施設科の隊員として、ブルドーザーのオペレーター(通称:ドーザ手)を担当し、災害現場や演習地での整地作業などを行っていました。

施設科隊員として京都府の大久保駐屯地の第3施設大隊に所属。ドーザ手(ブルドーザーのオペレーター)として勤務。

出典:MAMOR

厳しい訓練の日々の中で学んだのは、礼儀や忍耐力だけではありません。

  • 相手の変化を読み取る「観察力」
  • 先回りして動く「察知力」
  • そして「自分の役割を見極める判断力」

これらの力は、芸人となった今も、ネタ作りや現場での立ち振る舞いに活かされているといいます。

私の芸人としてのスキルは、全て自衛隊で身に付けたものと言っていいかもしれません

出典:MAMOR

即応予備自衛官として、芸人との“二足のわらじ”

やす子さんは、現役自衛官として2年間勤務したのち、即応予備自衛官としてさらに約4年間活動

2023年度は多忙のため、訓練を一時的に見合わせていたものの、2024年4月からは再び即応予備自衛官として訓練を再開

現在も任務登録中です。

即応予備自衛官とは?
即応予備自衛官とは、普段は社会人として働きながら、有事や災害時には自衛官として防衛や救援活動に従事する制度です。
年間30日間の訓練に参加し、知識と技能を維持します。

芸能活動のかたわら、自衛隊への誇りも忘れず、訓練にも真摯に取り組むやす子さん。

その真面目さと誠実さこそが、彼女が多くの人に支持される理由のひとつかもしれません。

“生きるための選択”だった自衛隊は、いまや“生き方そのもの”に。
芸人としても、人としても、自衛隊は、やす子さんの人生における大切な土台になっているのですね。

お笑い芸人への転身|ひとりで舞台に立った“運命の日”

yasuko

自衛隊を退官した後、やす子さんは清掃員として働きながら東京で暮らしていました

そんなある日、SNSで知り合った友人からかけられたひと言が、人生の転機になります。

トイレ掃除をしている時に、休みの日に友人から“漫才をしたい”って言われて“いいよ”って言ったという感じで

出典:スポニチ

履歴書を複数の事務所に送ったところ、ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA)から「ライブに出てみませんか?」という連絡が。

こうして、やす子さんは2019年9月29日、初めて舞台に立つことになります。

ところが――

「それが友人がもうちょっと若手の多い所に行きたいということで、当日、来なくて事務所ライブ、人生初ライブに」と衝撃の出来事が。

出典:スポニチ

なんと、相方がドタキャン。

急きょひとりで即興ネタを披露することになりました。

芸名も決まっていなかったため、その場で苗字の「安井(やすい)」から“やす”を取り、「やす子」と即席で名乗ることに。

芸名も決まってないから、本名の“安井かのん”の“やす”をとって適当に“やす子”と名乗って。半ばヤケクソでネタをやってみたら……お客さん投票で2位になってしまって。

出典:cocotame

この“ひとりで舞台に立った日”が、芸人やす子の誕生

自衛隊時代に鍛えた声量と礼儀正しいキャラが、会場でも印象的だったといいます。

ブレイクのきっかけは『おもしろ荘』

芸人デビューからわずか1年3ヶ月後の2021年元日には、『ぐるナイおもしろ荘』に出演

異例のスピードで注目を集め、一気に全国区へとブレイクを果たします。

『ヒルナンデス!』や『24時間テレビ』など、テレビでもひっぱりだこに。

「2023年ブレイク芸人ランキング」では1位を獲得するなど、その人気は本物です。

自衛隊仕込みの礼儀正しさ、声量、そして明るいキャラが強く印象に残り、あっという間に“バラエティ映えする芸人”として注目されたのでしょう。

自衛隊も、芸人という仕事も、自分でも想像していなかった道が、人生を大きく動かすことってあるんですね。

まとめ

自衛官としての経歴や芸人としての明るいキャラクターからは想像しづらいですが、やす子さんの人生は、幼少期から困難の連続でした。

それでも彼女は、与えられた環境の中で、自分なりに一歩ずつ前に進んできました。

  • 幼少期は母子家庭で極度の貧困生活
  • 高校進学と同時に児童養護施設に入所
  • 高校では柔道部・アルバイトをしながら自立した生活を実践
  • 高校卒業後、自立のために陸上自衛隊に入隊
  • 自衛隊で礼儀・観察力・判断力を養い、その後即応予備自衛官としても活動
  • 芸人になったきっかけは友人のひと言と偶然のライブ出演
  • わずか1年3ヶ月で『おもしろ荘』に出演し、一気に全国区へ
  • 現在も即応予備自衛官として訓練に参加しながら、芸人・女優として活躍中

自衛隊も、芸人という道も、自ら希望して進んだ道ではありませんでした。

それでも、どんな環境でも前向きに、自分らしく歩いてきたやす子さん。

彼女の生き方からは、「与えられた場所で生きる強さ」を感じさせられます。

これからも、やす子さんらしい笑顔と芯の強さで、たくさんの人に元気を届けてほしいですね!

それでは、ありがとうございました!

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