知的なコメント力と鋭い観察眼で、サッカー番組でも注目を集める影山優佳さん。
実は彼女の“サッカー愛”のルーツは、家族との絆にありました。
影山優佳さん自身も審判資格を持ち、戦術論にも精通するほどのサッカー通。
その背景には、同じくサッカーに情熱を注いできた弟・影山秀人さんの存在があります。
将来を嘱望された有望選手だった秀人さんは、大学4年での引退という大きな転機を迎え、現在は起業家として新たな道を歩んでいます。
本記事では、影山優佳さんの弟・秀人さんのプロフィールからサッカー経歴、そして家族との絆まで詳しくご紹介します。
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影山優佳の弟・影山秀人のプロフィール

影山優佳さんは2人きょうだいの長女で、1歳年下の弟・影山秀人(かげやま・しゅうと)さんがいます。
- 名前:影山秀人(かげやま しゅうと)
- 生年月日:2002年11月7日生まれ
- 年齢:22歳(2025年6月現在)
- 出身地:東京都
- 現在の職業:株式会社AxisI 代表取締役(IT関連事業)
姉・優佳さんの一歳年下の秀人さんは、過去に横浜F・マリノスジュニアユース、三菱養和SCユース、国士舘大などでプレー。現在は株式会社AxisIの代表取締役を務めている。
出典:ゲキサカ
姉の優佳さんとは年齢が近く、両親の影響で、幼少期からサッカーボールを追いかけて共に育ってきた存在です。
芸能活動は行っていませんが、YouTubeなどのメディア出演を通して、サッカーや家族との関係について語る場面もあり、注目を集めています。
影山秀人のサッカー経歴と引退

影山秀人さんは、幼少期からサッカーに親しみ、名門クラブを渡り歩いてきたエリート選手でした。
小学生で始めたサッカー人生は、中学・高校・大学と一貫してトップレベルの環境に身を置き、周囲からも将来を期待されていた存在でした。
- 小学2年生で本格的にサッカーを開始
- 中学時代:横浜F・マリノスジュニアユースに所属
- 高校時代:暁星高校サッカー部、その後三菱養和SCユースへ移籍(キャプテンを務める)
- 大学時代:国士舘大学サッカー部で主力MFとして活躍
小学校:姉の影響でサッカーを開始
サッカーを始めたのは、小学2年生の頃。
姉・優佳さんの影響で地元のサッカークラブに入団し、本格的なキャリアがスタートしました。
通っていたのは、都内の名門・暁星小学校。
名門・暁星小学校に入学してからもずっとサッカー一筋。
出典:ゲキサカ
セレクションで受かり、FC東京アドバンススクールにも通っていたそうです。
勉強とサッカーの両立をしながら、基礎をしっかりと築いていきます。
中学時代:横浜F・マリノスジュニアユースに所属
中学では、Jリーグ屈指の名門・横浜F・マリノスジュニアユースに加入。
中学の時は横浜F・マリノスの下部組織に入団。
出典:ゲキサカ
高いレベルの中で3年間プレーし、技術や戦術理解を深めました。
高校時代:三菱養和SCユースでキャプテンに
高校は再び暁星高校へ進学し、その後、街クラブの強豪・三菱養和SCユースに移籍。
高校で再び暁星サッカー部に戻ると、高校2年生からは日本代表MF相馬勇紀らを輩出したことでも知られる街クラブの強豪、三菱養和SCユースに籍を移してプレーした。
出典:ゲキサカ
ここではキャプテンも務め、U-16東京都選抜の主将も経験しました。
東京都クラブユースU-17選手権ではチームを優勝に導き、自身も優秀選手賞を受賞。
当時の監督・生方修司氏は、
と高く評価しており、リーダーシップと人間性の両面でチームに貢献していたことがわかります。
国士舘大学での飛躍
大学は国士舘大学に進学。
1年生から試合に出場し、チームの中核を担うMFとして活躍します。
国士舘は努力が評価される場であるなと感じた。その頑張りを、プロセスを、評価してくれるの国士舘が一番自分に合う場であると感じたので決めました
出典:ゲキサカ
その戦術理解力と判断力は高く評価され、主力としての活躍が期待されていました。
惜しまれた引退と起業
しかし、2024年3月――。
大学ラストイヤーの練習中、突然意識を失う事故が発生。
命は助かったものの後遺症が残り、競技としてのサッカー継続は断念することに。
それから約2か月後、影山秀人さんはX(旧Twitter)にて、自身の引退とその胸中を率直な言葉で発表しました。
SNSに綴ったメッセージには、多くのサッカーファンや関係者から温かいコメントが寄せられました。
輝かしいキャリアの先に待っていた突然の別れ。
けれどその“終わり”は、新しいスタートでもありました。
実は、中学生のころから「経営者になりたい」という夢を抱いていた秀人さん。
大学3年生の秋ごろから友人たちと準備を進め、2024年3月1日、「株式会社AxisI」を設立していました。
新たな挑戦に踏み出した――その、わずか2週間後。
運命のようなタイミングで、大きな転機が訪れたのです。
影山秀人さんは今、サッカーで培った経験と感謝の思いを胸に、次のステージへと歩みを進めています。

突然訪れたキャリアの終わりは、本人にとっても簡単には受け入れがたい現実だったはずです。
SNSに綴った言葉のなかにある「強く生きます!!」という締めくくりには、自らの“第2の人生”への覚悟が伝わってきますね。
影山家のサッカー愛


影山家は、両親・姉・弟の4人家族。
全員がそろってサッカーを愛する“筋金入り”のサッカー一家です。
- 父親・・・海外まで日本代表の試合を観戦しに行くほどの熱狂的なファン
- 母親・・・優佳さんが審判資格を取得する際に一緒に4級審判員の資格を取得
- 姉・影山優佳・・・小学生の頃にサッカーを経験し、中学2年生でサッカー4級審判資格を取得
さらに優佳さんは、1歳のときに2002年日韓ワールドカップを現地で観戦していたというエピソードも残っています。
1歳で日韓W杯を観戦する“英才教育”を受け、中学生のときにサッカー4級審判員の資格を取得。
出典:日刊ゲンダイ
家庭では子ども向け番組ではなく、フランスW杯の試合映像がエンドレス再生されていたという影山家。
まさに、日常の中にサッカーが息づいている家庭だったようです。
また、秀人さんの名前「シュート」も、サッカー選手になってほしいという想いを込めて名付けられたもの。
名前のとおり、プロを目指して努力を重ねる姿は、家族の期待に応えるものでした。
そんな弟が引退を発表した際、姉・優佳さんはInstagramのストーリーズで、こう綴っています。
「私の大切な英雄に、ヒーローインタビューをするという夢があったからこそ、孤独を感じながらもその仕事を頑張ってこれました」
出典:日刊スポーツ
弟への深い尊敬と愛情がにじむ言葉からは、きょうだいとしてだけでなく、ひとりの“同志”として支え合ってきた時間が伝わってきます。
家族の支えとサッカーへの情熱が、影山秀人さんのこれまでの道を形づくり、そして引退後の人生をも力強く後押ししているのでしょう。



こうして影山家のエピソードを振り返ると、サッカーは単なる趣味ではなく、家族の絆や人生の軸そのものだったことがよく伝わってきますね。
まとめ
影山優佳さんの弟・秀人さんは、幼いころからサッカー一筋で歩んできた元アスリート。
将来を嘱望されながらも突然の引退を経験し、現在は起業家として新たな道を切り拓いています。
その背景には、家族の深いサポートと“サッカーを軸にした絆”がありました。
- プロフィール
- 2002年11月7日生まれ・東京都出身
- 現在は「株式会社AxisI」の代表取締役
- 経歴
- 小学2年生で地元・サッカーチームに所属し本格的にサッカーを始める
- 横浜F・マリノスJY → 三菱養和SCユース(主将) → 国士舘大サッカー部の主力MF
- 2024年3月の練習中の事故を機に現役引退
影山秀人さんは、サッカーエリートとして輝かしいキャリアを築きながら、突然の引退という大きな試練に直面しました。
けれども、そこで歩みを止めることなく、持ち前の行動力と家族からの支えを武器に、起業という新たな挑戦へと舵を切っています。
サッカーに人生を捧げてきたからこそ見えた景色、そこから生まれた覚悟と感謝が、きっとこれからのキャリアにも活きてくるはずです。
これからの影山秀人さんの活躍からも、目が離せませんね。
それでは、ありがとうございました!
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