俳優として活躍する磯村勇斗さん。
その多彩な演技力と魅力的な人柄で、多くのファンを魅了しています。
しかし、彼が今の地位を築くまでには、数々の努力と挑戦がありました。
今回は、磯村勇斗さんの生い立ちから現在までの経歴を詳しくまとめてみました。
彼の俳優としての成長と成功の軌跡をたどってみましょう。
磯村勇斗の生い立ちと学生時代の活動

磯村勇斗さんは静岡県沼津市出身。
幼少期から“目立ちたがり”な一面があり、人前に立つことが好きな少年でした。
静岡県沼津市で生まれ育った磯村さんは、小さい頃から目立ちたがり屋で、人を笑わせたり、喜ばれたりするのが好きだったという。
出典:テレ朝POST
地元の公立校で育った学生時代
通っていた学校は以下の通りです。
- 小学校:沼津市立第一小学校
- 中学校:沼津市立第一中学校
- 高校:静岡県立沼津西高等学校
地元でのびのびと育ち、明るく活発な性格だったとされています。
「お笑い芸人になりたい」少年時代の夢
小学校の卒業式では、人前で堂々と「芸人になりたい」という夢を語ったそうです。
(小学校の)卒業式で、一人ひとり壇上に上がって卒業証書を受け取るときに夢を語るんですが、そのときに『芸人さんになりたい』と言っていた自分がいました
出典:テレ朝POST
そんな磯村さんが、俳優を本気で目指すきっかけとなったのは中学2年生の文化祭。
仲間と共に自主制作映画『沼津の少女ハイジ』を制作したことでした。
2年のときに『沼津の少女ハイジ』という作品を自分で考えて作りました。こんなのおもしろいんじゃないかっていう、ほぼノリですね
出典:テレ朝POST
なんと自ら監督・演出をしながら、“ハイジ”役で主演を務め、上映会では観客から大きな笑いと拍手が巻き起こりました。
作ったものを評価してもらえたということがすごくうれしくて、そのときに僕はこの仕事をしたいと思ったんです(中略)最初に興味があったのは作る側でした。でも、目立ちたがり屋という自分の性格もあって、やっぱり俳優をやってみたいと思うようになって(俳優を)目指すようになりました
出典:テレ朝POST
この体験により、「自分の表現で人を楽しませたい」という思いが芽生え、俳優の道を意識し始めたといいます。
演劇の基礎を学んだ高校時代
高校在学中には、自ら電話で応募し、地元の劇団「沼津演劇研究所」に入団。
高2で俳優を志し、最初に門をたたいたのが、地元劇団の沼津演劇研究所だった。
出典:ENCOUNT
- ベテラン俳優からの本格的な指導
- 実際の舞台への出演経験
- 55歳の女優とのキスシーンにも挑戦
観客は100人程度だったが、「演じることはやっぱり面白い」と実感できた瞬間だったという。
出典:ENCOUNT
こうした濃密な経験を通じて、俳優になりたいという夢を確信し、演技の基礎を身につけていきました。
桜美林大学への進学と中退の決断
高校卒業後は、両親との約束もあり、桜美林大学 芸術文化学群(演劇・ダンス専修)へ進学。
卒業後、すぐに芸能界入りを目指すつもりでしたが、両親から「大学は行った方がいい」と言われ、芝居のできる大学(桜美林大)に進みました。
出典:日刊スポーツ
大学では演劇理論や映画制作を学ぶ一方、小劇場での舞台出演など、積極的に実践にも取り組みました。
しかし、俳優の夢を早く叶えたい気持ちが募り、大学2年生の終わり頃に中退。
あのときの自分はそこにとどまるより、もっと外の世界を見てみたかった。もっといろんな経験がしたくて中退することを決めました
出典:ぴあ映画
以降はアルバイトで生活費を稼ぎながら、本格的に役者修行へと踏み出します。
小学生のころから「芸人になりたい」と語っていた磯村勇斗さん。
ジャンルこそ違えど、人を楽しませる仕事=芸能の世界に強い憧れを抱いていたことがわかりますね。

一貫して、少年期に芽生えた夢をブレずに追い続けてきた磯村さんの姿勢には、芯の強さと表現への情熱を感じます!
俳優デビューまでの道のりと下積み時代


大学中退後、磯村勇斗さんは様々なアルバイトで生計を立てながら、小劇場での舞台活動を続けました。
その期間は、高校時代からの活動も含めて10年以上。
高校生の頃に地元・沼津の劇団に入って演技を学んだり、上京してからは劇場をまわったり、いわゆる下積みっていう期間は10年以上あったと思います。
出典:ViVi
転機が訪れたのは、中退から約1年後のこと。
小劇場での主演舞台が現在の事務所関係者の目に留まり、スカウトされたのです。
僕の主演舞台を見た今の事務所から声が掛かりました。ようやく所属事務所が決定。
出典:日経クロストレンド
2014年、テレビ朝日のスペシャルドラマ『事件救命医2〜IMATの奇跡〜』で俳優デビューを果たしました。
その後もフジテレビの連続ドラマ『若者たち2014』や名古屋テレビの深夜ドラマなどに端役出演し、着実に経験を積んでいきました。



磯村さんはスカウトされようと原宿を歩いていたというエピソードもありますが、小劇場での舞台経験を重ねながらコツコツと実力を磨き、挫折や親との衝突も乗り越えてきたからこそ、今の存在感があるんですね。
磯村勇斗のブレイクと代表作


俳優として地道にキャリアを積んできた磯村勇斗さんに、大きな転機が訪れたのは2015年のことでした。
ブレイクのきっかけは夢だった『仮面ライダー』
多くの若手俳優が通る登竜門“仮面ライダー”。
磯村さんはこの作品で一気に存在感を放ちました。
テレビ朝日『仮面ライダーゴースト』で主要キャラクターのアラン / 仮面ライダーネクロム役に抜擢されたのです。
過去に2度ライダーオーディションに落ちた経験がありましたが、3度目の正直で見事合格。
当時の心境を自身のブログで以下のように綴っています。
子供の頃から観ていた
歴史のある仮面ライダーシリーズに
いつかは出たい出たいと願っていたのですが、
今回、それが叶い
言葉が出ない程の喜びを今も感じています!
出典:磯村勇斗オフィシャルブログ『キドウ』
この役でテレビドラマのレギュラーを初めて務め、謎めいた青年アラン役を好演しました。
その後の代表作と新人俳優賞の受賞
2017年には、NHK連続テレビ小説『ひよっこ』に出演。
有村架純さん演じるヒロインの後の夫となる前田秀俊(通称ヒデ)役を演じ、全国区の知名度を獲得しました。
その後も、日本テレビ系の『今日から俺は!!』(2018年)では不良高校生役でコミカルな芝居を見せ、作品の大ヒットに貢献。
映画では『ヤクザと家族 The Family』や『劇場版 きのう何食べた?』(2021年)での演技が高く評価され、第45回日本アカデミー賞・新人俳優賞を受賞しました。
以降も、社会派作品への出演も相次ぎ、さらに難しい役柄に挑戦し、高い演技力を発揮しています。



大きな転機となった『仮面ライダーゴースト』。苦労の末につかんだ役でしっかり結果を出したことで、下積みがあったからこその深みと説得力が開花した瞬間だったのかもしれませんね!
磯村勇斗の現在の活躍とこれからの展望


磯村勇斗さんは、今や「若きカメレオン俳優」と称されるほど、役ごとの印象を自在に変える演技派俳優として成長しています。
現在の活躍と今後の展望について、以下にまとめます。
- 変幻自在な演技力が評価され、「若きカメレオン俳優」と呼ばれる存在に
- 2020年には短編映画『機械仕掛けの君』で監督デビュー
↳ 表現者としての新たな挑戦もスタート
- 地元・沼津市の「燦々ぬまづ大使」に任命
↳ 出身地への貢献や発信活動も注目
- 地元静岡での映画祭《しずおか映画祭》をプロデュース・開催決定(2025年)
↳ 映画の魅力を伝え、地元を盛り上げる新たなプロジェクトとして注目
- 2023年、映画『最後まで行く』『月』で報知映画賞・助演男優賞を受賞
↳ 演技力にますます磨きがかかり、実力派としての評価が定着
- 語学力を武器に、今後は海外作品への進出にも期待
↳ ハリウッド進出も視野に入れたグローバルな活躍を目指している
30代を迎え、さらに演技に深みと円熟味を増す磯村勇斗さん。
これからの日本の映像業界、そして世界のスクリーンでも、ますます存在感を放ってくれることでしょう。



夢を叶えただけでなく、次は“夢を届ける側”へ。そんな磯村勇斗さんの進化を応援したくなりますね。
まとめ
磯村勇斗さんの経歴は、俳優としての情熱と努力の軌跡そのものです。
- 静岡県沼津市出身。幼少期から人を楽しませることが好きな性格
- 中学校の文化祭の自主映画がきっかけで俳優を志す
- 高校で地元の劇団に入り、舞台で演技の基礎を学ぶ
- 桜美林大学に進学後、2年で中退し本格的に俳優の道へ
- 小劇場での舞台がスカウトのきっかけとなり、2014年に俳優デビュー
- 2015年『仮面ライダーゴースト』でブレイク
- 朝ドラ『ひよっこ』など話題作で人気と実力を獲得
- 映画『きのう何食べた?』などで日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞
- 監督デビューや「しずおか映画祭」など表現の幅を拡大中
現在は「若きカメレオン俳優」と呼ばれるほど役柄の幅を広げ、映画監督としても活動を始めるなど、多方面で才能を発揮しています。
磯村勇斗さんの経歴は、夢を諦めずに努力を重ね、着実にステップアップしていく姿勢が光る、多くの人々に勇気を与える素晴らしいものだと言えるでしょう。
今後も彼の活躍から目が離せませんね。
それでは、ありがとうございました!
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