現在はキャスターやMCとして活躍する人気のホラン千秋さん。
実はホラン千秋さん、子役から女優、そして報道キャスターへと、めずらしいキャリアを歩んできた方なんです。
今回は、そんなホラン千秋さんがキャスターとして起用されるまでの道のりを、学歴や留学経験、過去の出演歴とともにご紹介します。
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ホラン千秋の意外な芸能活動スタート!キッズモデルから女優へ

ホラン千秋さんは、芸能界入りがとても早く、なんと5歳のときにモデル活動をスタート。
母親の友人に勧められたことがきっかけだったそうです。
母が、同じくダブルのお子さんを持つ友人に誘われて、記念のつもりで『やってみる?』くらいの軽い気持ちでキッズモデルをはじめたのがきっかけでした。
出典:明治安田生命
13歳で大手事務所・アミューズに所属し、本格的に芸能活動を始めます。
キッズモデルとして5歳で芸能界に入り、SPEEDファンだったことをきっかけに13歳で芸能事務所に入所したホラン。
出典:モデルプレス
実は当時、SPEEDに憧れて歌手を目指していた時期もあり、Perfumeと一緒にレッスンを受けていたというエピソードも。
「SPEED」に「凄い憧れてました」といい、歌って踊れる歌手を目指して「Perfume」と一緒にレッスンを受けていたことも。
出典:スポニチ
2005年には、戦隊シリーズ『魔法戦隊マジレンジャー』に悪役・ナイ役で出演し、女優デビューも果たしました。
ただ、10代のころは思うように仕事が続かず、同世代の仲間が次々とブレイクしていく中で、「自分には才能がないのでは…」と悩む時期もあったそうです。
そんなとき彼女が決断したのが、「環境を変えて演劇を学びたい」という思い。
20歳を目前に「何を変えたらここから抜け出せるんだろう…何か抜本的に環境を変えないと」と「『そうだ!演劇を勉強しにアメリカに行こう!』と思った」とアメリカの大学への演劇留学を決意。
出典:モデルプレス
こうして見てみると、ホラン千秋さんは子どもの頃から長く芸能活動を続けていて、華やかなイメージの裏には、しっかりとした下積み時代があったんですね。

次は、その留学経験がどうキャスターという仕事につながっていったのかを見ていきましょう。
アナウンサー試験全滅でも諦めなかったキャスターへの道


留学で気づいた「伝える楽しさ」
大学は青山学院大学 文学部英米文学科に進学し、成績優秀者として学業奨励賞も受賞したホラン千秋さん。
さらに、大学在学中にアメリカ・オレゴン州立大学に1年間の留学を経験します。
現地では舞台芸術(演劇)を専攻し、英語漬けの本格的な環境で表現を学びました。
そもそも演技を勉強するために留学したのですが、演技以外にも演出や大道具、照明など様々な授業を受講して、多角的に演劇を学びました。
出典:telling,
この留学経験が、ホラン千秋さんの人生を大きく変えるきっかけに。
当初は「お芝居がうまくなりたい」という一心で渡米したホランさんですが、次第に“演じること”よりも“伝えること”そのものの楽しさに気づいたと言います。
「お芝居以外に、そういえば私何好きだったかなって考えて…『私、喋るの好きじゃん』」と留学中に“人に伝えること”が好きだと気付いたという。
出典:モデルプレス
その思いから、帰国後はマネージャーに「タレントやラジオパーソナリティに挑戦したい」と進路の方向転換を伝えたそうです。
「あの時あの決断をしたから今がある」
出典:モデルプレス
この“気づき”が、ホラン千秋さんをキャスターという新たな道へと導く大きな一歩になりました。
アナウンサー試験は全滅、それでも挑戦し続けた
留学から帰国後は、ホランさんは就職活動の一環として、民放キー局のアナウンサー試験を受験します。
ですが、結果は…まさかの全落ち。
留学から帰ってきてからは、就活にも挑戦しました。しかし民放キー局のアナウンサー試験と、留学を経て興味を持った制作の採用試験は全敗。
出典:telling,
それでもホランさんは、「伝えることが好き」という気持ちを信じて、芸能界での挑戦を続けます。
お芝居だけでなく、可能性を広げるためにタレントやキャスターのオーディションにもチャレンジ。するとだんだんとお仕事をいただけるようになったんですよ。
出典:telling,
こうして2011年には、TBSの経済ニュース番組『ビジネス・クリック』にキャスターとして出演。
生放送の現場で“伝える力”を磨き始めます。
『NEWS ZERO』で全国ネットのキャスターに抜擢!
そんな中、2012年にホラン千秋さんに大きなチャンスが訪れます。
日本テレビの報道番組『NEWS ZERO』で、月〜木曜のキャスターに大抜擢されるのです。
当時23歳、しかも全国ネットでの起用は、かなり異例のことでした。
プロデューサーの山崎大介氏は、起用の理由についてこう語っています。
山崎大介プロデューサーは「手あかのついていない新鮮さと、誠実さや清潔感があふれた外見、それに英語力、ビジネス・クリックで生放送を経験していることで、ぜひと依頼しました」と話す。
出典:スポニチ
ホランさん自身も「まさか自分が…」と驚きつつ、
「見てくださった方をガッカリさせないようなキャスターになりたいです」
出典:スポニチ
と、真摯にコメントしていました。
挫折も経験したけれど、自分の“好き”と“得意”を活かすことでチャンスをつかんだホラン千秋さん。
キャスターという新たなステージへの道は、まさに努力と挑戦の積み重ねで開かれていったのです。



まさに留学での“気づき”こそが、ホラン千秋さんの人生を大きく動かすターニングポイントだったのだと思います。
『Nスタ』で”夕方の顔”に|ホラン千秋が選ばれた理由とは?


『NEWS ZERO』で培った経験が評価に
『NEWS ZERO』でのキャスター経験を経て、ホラン千秋さんは報道キャスターとしての評価を着実に高めていきました。
2016年末には、TBSの特別番組『報道の日』に出演。
その際の社会問題への的確なコメントが視聴者から好評を博しました。
こうした実績が認められ、2017年春からTBSの夕方ニュース番組『Nスタ』のメインキャスター(月〜木曜)に就任します。
起用の決め手は“瞬発力”
『Nスタ』のプロデューサー・谷上栄一氏は、ホラン千秋さんを起用した理由について、こう語っています。
「ホランさんはとにかく反応が早い。夕方の時間は、ニュースが動いている時間。ホランさんの瞬発力に期待している」
出典:ORICON NEWS
夕方のニュースは情報がどんどん入ってくるため、瞬時の判断力や伝える力が求められます。
その中でホランさんは、情報をすばやく理解し、自分の言葉でわかりやすく伝える力に優れていたのです。
また、明晰なコメント力と冷静な進行力も評価され、同局アナウンサーの井上貴博さんとのコンビで“番組の顔”として定着していきました。
約8年間、夕方の報道を支え続けた存在に
結果として、ホラン千秋さんは『Nスタ』で約8年間もキャスターを担当。
まさに“夕方の顔”として、多くの視聴者から信頼される存在となりました。
本人も、かつての『NEWS ZERO』降板を振り返りながら、
「卒業という名のクビだったので、悔しさをバネにして今、日テレで教えていただいたことを赤坂で全て生かしております」
出典:サンスポ
と、冗談交じりに語っています。
一度の挫折を力に変え、キャスターとして確かな実力をつけていったホラン千秋さん。
その努力と前向きな姿勢が、視聴者にも共感と安心感を与え続けてきた理由なのかもしれません。



「ホラン千秋=報道キャスター」というイメージが、今やすっかり定着した背景には、挑戦を続けてきた努力と、“伝える”ことへのまっすぐな想いがあったのですね。
まとめ
優やタレントとして活動していたホラン千秋さんが、なぜ“報道の顔”と呼ばれるまでになったのか。
その背景には、長年の芸能活動の中で掴んだ気づきと、自分の可能性を信じて挑戦し続けた努力がありました。
- 子どもの頃から芸能活動を続けていた下積み経験
- 大学時代のアメリカ留学で「伝える楽しさ」に目覚めた
- アナウンサー試験全滅後も挑戦をやめなかった粘り強さ
- 『NEWS ZERO』でのキャスター経験による信頼感
- 『Nスタ』では速報にも対応できる“瞬発力”が高く評価された
ホラン千秋さんのキャスターとしての成功は偶然ではなく、これまで積み重ねてきた努力と経験があったからこそ実現したものだと感じます。
これからも、知性と誠実さで“伝える力”を届けてくれるホランさんに注目していきたいですね。
それでは、ありがとうございました!
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