学歴詐称が話題になっている、静岡県伊東市の田久保真紀市長。
その多彩な経歴と地元・伊東への深い愛情にも注目が集まっています。
バイク便ライダーからカフェ経営、市議会議員を経て、2025年に市長に就任するまでの歩みには、“生活者目線”が一貫して流れていました。
この記事では、市政のトップに立つまでの道のりをたどります。
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田久保真紀市長の経歴は?出身地と多彩なキャリア

出身地と学歴
田久保真紀(たくぼ・まき)さんは1970年2月3日、千葉県船橋市に生まれました。
10歳のときに父親を亡くし、静岡県伊東市へ転居し、以降は伊東で育ちます。
千葉県船橋市出身で、10歳の時に父が病死した。学校に通えなくなる時期もあり、中学3年で自然豊かな伊東に転校。
出典:東京新聞
- 伊東市立北中学校 卒業
- 静岡県立伊東城ヶ崎高校 卒業
- 東洋大学法学部へ進学(後に除籍)

学歴については、市広報誌に「卒業」と記載されていたことで指摘がありましたが、本人が「除籍だった」と説明しています。
多職種を経験した20〜30代
大学を離れた後は、東京都内を中心にさまざまな仕事に従事します。
- バイク便ライダー
- 人材派遣会社スタッフ
- 広告業界で独立
- 営業職・飲食業など
バイク便ライダーや営業職、飲食業など多彩な職を経験して庶民目線を養った。(中略)
マスコミの原稿やフィルムを運ぶバイク便ライダーに。その後、イベントに人材を派遣する会社に勤務し、広告業界で独立した。
出典:東京新聞
暮らしの中で「働く人の現場」を見てきた経験が、のちの市政活動にも生きることになります。
伊東市に戻り、カフェを開業
2010年、伊東市へ戻った田久保真紀さんは、地域密着型のカフェを開業。
2010年ごろに伊東にUターンしてカフェを開いた。
出典:東京新聞
「カフェ」という空間にこだわりを持ち、現在もSNSではスイーツやティータイムの投稿がたびたび見られます。
伊東のカフェ文化にも精通し、地元のお店を応援する様子からは、“地域とともに生きる”姿勢が伝わってきます。
このころから地域活動や市民グループのボランティアにも積極的に参加し、まちづくりへの思いを強めていきました。
政治の道へ|市議から市長へ

市議会議員としての6年間
2019年の伊東市議会議員選挙に、無所属で初出馬。
地元の支持を得て初当選し、6年間の市議生活がスタートします。
実はこの立候補の背景には、伊東市八幡野で計画された大規模メガソーラー事業への反対運動がありました。
田久保真紀さんは「伊豆高原メガソーラー訴訟を支援する会」の事務局長として活動し、経済産業省へ陳情に出向くなど、地元の自然や住環境を守るために尽力してきました。
「伊豆高原メガソーラー訴訟を支援する会」の田久保真紀事務局長らは、資源エネルギー庁新エネルギー課の山崎琢矢課長らと面会
出典:産経新聞
現場に足を運び、地道に市民の声を拾い上げていくスタイルで支持を広げました。
2025年、市長選で初当選
2025年5月の伊東市長選挙では、現職の大野達也氏と一騎打ち。
「生活者目線の市政改革」を掲げて選挙戦を戦い、およそ1800票差で勝利しました。
- 市長就任日:2025年5月29日
- 無所属での出馬
- 伊東市初の女性市長として歴史を刻む
当選後の広報誌記載により学歴の問題が報じられましたが、田久保真紀さんは「逃げずに向き合う」と述べ、辞職は否定。
説明責任を果たしながら、市民との信頼構築に努めています。
まとめ
田久保真紀市長の経歴は、いわゆる“政治エリート”とは異なります。
そのひとつひとつの経験が、彼女の政策や姿勢に深く根付いています。
- 船橋市で生まれて、伊東市へ転居
- 東京で多職種での経験
- 伊東市へのUターン、カフェ経営
- 地域に根差した活動
- 無所属での市議・市長選当選
市政運営の中心には、いつも「暮らしの実感」がある。
そんな“田久保カラー”の市政が、どこまで根付き、何を変えていくのか。
現在は学歴表記をめぐる混乱の渦中にありますが、田久保真紀市長には、まずは丁寧に説明責任を果たしたうえで、市民の声に耳を傾け、伊東市の未来を見据えた市政にしっかりと専念してほしいところです。
地域に根ざしてきたからこそ築ける信頼と、一人ひとりの暮らしに寄り添う視点に期待が高まります。
それでは、ありがとうございました!
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